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久宝寺駅の土地(売買)
久宝寺駅物件一覧
- 沿線
- 久宝寺駅
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- 駅徒歩
- 指定しない
- 間取り
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- 設備条件
-
指定なし
- 久宝寺駅情報
- 八尾市内の中でも注目されているエリアです。駅およびその周辺では再開発が進められており、近年マンションや商業施設が続々建設されて便利になりました。快速電車で大阪駅まで約28分、2019年3月開業した東おおさか線を利用すれば32分で新大阪駅に直結します。府下4大緑地の「久宝寺緑地」も徒歩圏内で、生活至便と潤いのスポットの両方を兼ね備えたエリアです。
駅北側
久宝寺(寺内町)
顕証寺
許麻神社
念佛寺
発願寺
寺内町ふれあい館
久宝寺緑地・久宝寺プール
八尾久宝寺四郵便局
クボタ 久宝寺事業センター
日本通運 大阪南支店
のぞみのもり保育園
久宝まぶね保育園
八尾市立久宝寺小学校
八尾市立久宝寺中学校
駅南側
八尾市立病院
メガシティタワーズ
竜華水みらいセンター
シャープ 八尾事業所
ヤマト運輸 八尾太子堂宅急便センター
ライフ久宝寺駅前店
万代久宝寺駅前店
フードマーケットサタケ久宝寺駅前店
スーパースポーツゼビオスポーツタウン久宝寺店
スポーツクラブ&スパルネサンス久宝寺24
久宝寺保育園
アスク久宝寺駅前保育園
八尾市立亀井小学校
八尾市立龍華小学校
八尾市立亀井中学校
八尾市立龍華中学校
◇◇許麻神社 河内国 渋川郡鎮座◇◇
式内社で、もと牛頭天王と称され、渋川六座の一である。この地は古く巨麻荘といい、河内国諸蕃の大狛連の住地で、その祖神をまつったと伝えられる。 境内の手洗いの屋形は、むかしの宮寺久宝寺観音院の鐘楼の名残りである。 この寺は、聖徳太子の建立で、戦国時代に兵火に逢って焼失した、 その後観音院のみ復興したが、明治初年廃寺となった。本尊十一面観音はいま念佛寺にある。 神社の西方に、むかし弥生式土器を埋蔵したベントウ山があった。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾市郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1983年)】
①社名の由来:「許麻」は「コマ」と訓み、昔はこの地を「許麻荘」と言った。許麻は高麗に通じ、高麗からの渡来民族が多く住んでいた。彼らが祖霊として祭祀したのが、後に神社として祀られ、社名に「許麻」が残ったと言われている。【出典:『許麻神社案内記』(許麻神社)を参考】
②手洗舎建立の由来:この手洗舎は往古この境内に許麻の宮寺として「久宝寺観音院」があり、「真言宗大悲閣」と呼ばれる様になったものです。旧記に、この寺は聖徳太子の建立によるもので、太子自作の十一面観音を本尊としていたと伝えられます。三十三代推古天皇二年三月に勅願所となりましたが、松永弾匠久秀の乱による兵火にかかり悉く灰燼となりその後漢文七年七月(一六六七年)に再建されました。その後明治初年の神仏分離により廃寺となりましたが、その鐘楼を神社の手洗舎として移築し現在に及んでおります。尚、古老によれば鐘楼の釣鐘は有名で、その響きは十里の外まで及び、大和高田まで達したと伝えられております。 平成十二年五月吉日記【出典:『許麻神社手洗舎』案内板(許麻神社、2000年)】
◇◇念佛寺◇◇
もとは久宝寺の末院でしたが、現在は大阪市平野区の大念佛寺の末寺です。本堂脇にお祀りする十一面観音菩薩は、久宝寺の本尊であったことから、久宝寺観音院とも呼ばれています。河内西国第二番霊場です。(久宝寺寺内町公式ページより)
◇◇久宝寺緑地◇◇
八尾市西久宝寺、東大阪市大蓮南、大阪市平野区加美東に広がる都市公園です。
甲子園球場の約10倍の広大な敷地を持つ公園です。
大阪四緑地の一つです。(服部・鶴見・大泉・久宝寺)
北エリア・中エリア・東エリアの3つに分かれ、それぞれ「ファミリーゾーン」
「スポーツゾーン」「プレイゾーン」と呼ばれています。
小さい子供から高齢者まで、どなたでも楽しめる広大な公園です。
公園内には以下の施設があります。
駐車場
テニスコート
スポーツハウス
硬式野球場
軟式野球場
陸上競技場
プール
スケートボードエリア
BBQエリア
芝生広場
こども広場
修景広場
シャクヤク園
花の広場
健康広場
風の広場
池
もくもく元気広場
幼児コーナー
まいまい広場
よちよちランド
◇◇えきちか(駅近)古墳発見!JR久宝寺駅西側で70基もの古墳発見◇◇(八尾市HPより)
平成18年に竜華操車場跡地の整備が完成し、駅は南北高架状の橋上駅舎となり、北側にはバスのロータリーができました。また、周辺には新しい八尾市立病院が建てられ、広い道路もできました。
実は、この整備に先立つ発掘調査で3世紀前半から後半、すなわち弥生時代の終わりから古墳時代初めの墓がたくさん発見されました。
久宝寺駅の西側、自転車置場のある広場から龍華水環境保全センター付近を中心に、約70基発見されています。
古墳はほとんどが方形(ほうけい)で、一辺5.15mぐらいの大きさです。また、駅から近い所では、ロータリー西側および自転車置場西側の道路整備に伴う(公財)八尾市文化財調査研究会による発掘調査で、2つ並んで方墳が見つかっています。
このように久宝寺遺跡で多くの古墳が造られたのは、この辺りが昔、大阪湾から入り込んだ河内湖のほとりに位置していたことが関係しています。
付近では準構造船といわれる木船の部材も見つかっており、河内湖には、多くの船が行き交っていたものと考えられます。
河内湖から旧大和川をさかのぼると、当時のヤマト王権の本拠地(奈良県南東部付近)へ行くことができます。これらのことから、久宝寺遺跡付近は当時、交通の要所として発展したことが分かります。